手貼りについて

前回からの続きで手貼りの説明を書いていきましょう。


当然ですが現在のようにネットリストは存在せず配線は回路図を見ながら半透明な紙に、

ランドは丸を、配線は1本づつ線を描いていました。
ランドは普通の鉛筆、表面パターンは緑の色鉛筆、裏面は赤色の色鉛筆で線を描いたり、

実践と点線で区別したりと設計者によってさまざまでしたが、

いずれにしても設計は定規をつかって鉛筆(シャープペンシル)で紙に描く作業でした。


何度も消したり書いたりすると、マイラー紙の表面がスベスベになって

鉛筆が乗らなくなってくるのでまずは方眼のついたマイラー紙を青焼きして、

その紙に下書きしてから清書する手順が多かったですね。


マイラー紙?青焼き?いまではなかなか聞く事のない単語かも知れませんね。
詳しくはWebで!←(自分でググって調べてくださいwww)

そしてシルク図は別の紙(これも半透明の紙)にICの形や部品の回路記号で描いてました。
2枚一組(当時は両面シルクは皆無で、もし裏面に配置した場合、

表面に点線で表記するのが常套手段でした)で一応は設計完成です。


そうそう、言い忘れましたが、設計は(ほぼ)全て尺度2倍で描いていました。
理由は原寸では見にくい、線が描けない(特に束線)、フィルム化するための前作業が

困難だったからです。


配線が完了すると、他の設計者と2人がかりで読み合わせチェックです。
一人が設計された配線先をを読み上げ、もう一人が回路図を追っていき、

回路図通りにつながっているかを確認する作業でしたが、

これが大変睡魔が襲う作業でした(特に回路図側のひと)。


図面をみて配線を読み上げる者と回路図を追う者で下記のようなやりとりは

日常茶飯事でした。


Aさん「IC2の3番とR15の片側」←本当はIC1の3番
Bさん「はい、OK」
Aさん「今、寝てただろ~!!(怒)」


ちょっと横道にそれますが、当時、私が実際に目にした珍設計者をご紹介しましょう。

・抵抗を入れ忘れたが、すでに入れるスペースがない。

(当時は紙ですので、CADのように簡単に 特定の領域だけずらす、

ってことは出来なくて、かなりの範囲をやり直しする事にになってしまうのです)


 そこで抜けたのを気づいててバックれ、納品。
・どうしても最後の2本がつながらない。客先には相談せず勝手にジャンパー処理用の

VIAで完結させ シルクに点線を書いて「これジャンパーです」の意思表示で

平然としている。
 
いまでは考えられない設計ですが、これでも堂々と設計者を名乗っていましたね。

さて横道が長くなりすぎないうちに、続きを書きましょう。

と、その前に(また横道)私が30年前に設計を始めた時点では、

現在のスタイルになるとは予想が全くつきませんでした。
CADというモノが出だしたのは私がこの業界に入って設計を始めて

1年くらいだったでしょうか。


現在のCADにスタイルに近いものの前には、設計図面をコンピュータに読み込む

「デジタイザー」という存在があり、それは設計は今まで通り紙に描くのですが、

各ポイント座標をコンピュータに読み取らせ、ガーバーデータに変換する、

というものでしたが、その後すぐに(2年後くらい?)

図研からクリエイトが発売されました。


ホンの一部の設計会社は購入されたと思いますが、当時の価格は○○○○円!!

(年末ジャンボの前後賞くらい)

ワークステーションで、扱いは現在のPCでいうDOSからコマンドを打ち込みツールを

立ち上げるものでした。
誤って削除したり、同じ名前で上書きして消したくないデータを消してしまったり、と、

とにかく扱いづらいものだった記憶があります。


現在当社では顧客のニーズに応えるべくCADは数種類保有しいます。
CADVANCEαⅢ、Altium(PROTEL)、PADSを持っていますが、

CAD操作は概念の違いやコマンド名称の違いから
全てのCADを習得するには私の少し古くなった脳みそではかなり苦痛を伴います。


しかし、同じくらい当時のCRも大変でしたね。

というかCADとは何ぞや?初めてのお使いならぬ、初めてのCADですから、

それはそれは覚えるのは大変でした。

実際には他部署で導入したのを横目にみて可哀想に・・・と


対岸の火事状態だったんですけどね(笑)

→その後、自分も使わなければならないハメになることを夢にも思っていなかった・・・。


さて横道にそれっぱなしなので、次こそは本題にもどり・・・

次回こそは本題にもどって書いていきます!

(↑絶対、横道にそれると思っていらっしゃる方、おそらく正解です)


今回もお付き合い頂きましてありがとうございました。